サッカーファンの皆様こんにちは。
サッカー歴20年以上・フットサル歴10年以上のドリブラー猫かど吉です。
日本代表が7大会連続でW杯出場が決まりましたね!
今やアジアでトップレベルの実力でW杯常連の日本代表ですが、昔はW杯に出場できるレベルではありませんでした。
最近ではW杯に出て当たり前の風潮がありますが、長らく苦渋を舐めていた時代があったことをご存じでしょうか?
また、日本がW杯出場を逃し続けていた時代はW杯のアジア枠も少なく、現在よりも倍率が高い時代もありました。
今回は
・アジア予選の歴史
・日本代表の歴代成績
をまとめてみました。
この記事を通して、アジア予選・日本代表の歴史を勉強していきましょう!
日本代表のW杯アジア予選歴代成績
まず、日本代表のW杯アジア予選の歴代成績を見ていきましょう。
年代 | 開催国 | 結果 |
1954年 | スイス | 予選敗退 |
1962年 | チリ | 予選敗退 |
1970年 | メキシコ | 1次予選敗退 |
1974年 | 西ドイツ | 1次予選敗退 |
1978年 | アルゼンチン | 1次予選敗退 |
1982年 | スペイン | 1次予選敗退 |
1986年 | メキシコ | 最終予選敗退 |
1990年 | イタリア | 1次予選敗退 |
1994年 | アメリカ | 最終予選敗退 |
1998年 | フランス | 本戦出場(最終予選3位) |
2002年 | 日本・韓国 | 本戦出場(予選免除) |
2006年 | ドイツ | 本戦出場(最終予選1位) |
2010年 | 南アフリカ | 本戦出場(最終予選2位) |
2014年 | ブラジル | 本戦出場(最終予選1位) |
2018年 | ロシア | 本戦出場(最終予選1位) |
2022年 | カタール | 本戦出場(最終予選2位) |
※1958年のアジア予選には日本は不参加(詳細不明)
1966年はオリンピックのアマチュア規定の抵触を避けるために不参加
日本が初めてW杯予選に参加したのが、1954年でした。
当時アジアでエントリーしたのは日本・韓国・中国(棄権)のみでした。
ちなみに1954年のアジア予選で初めて日韓戦が実現しました。
結果は1分1敗(2−2 1−5)で日本はW杯出場を逃しました。
1962年も韓国との一騎打ちで敗れ、本戦出場を逃しています。
その後も当時の日本にはアジアの壁は高く、ことごとく1次予選で敗退していました。
1986年には最終予選に残るも、またもや韓国に敗れ出場を逃します・・・
そして1994年には現在でも語り継がれるドーハの悲劇によって再び最終予選で敗退してしまいます。
ドーハの悲劇の次大会の1998年に、ついに日本は念願のW杯出場を果たします。
念願のW杯出場が決まるも、当時日本代表の絶対的エースの三浦和良が本戦メンバーから外れる世間を大きく揺るがした出来事がありました。
その後は開催国のため予選を免除された年もありますが、本戦出場を連続で勝ち取っています。
日本の長いW杯アジア予選の歴史の中でも、1994年のドーハの悲劇と1998年の初出場&カズ落選が大きな印象として残っている方も多いのではないかと思います。
サッカーW杯アジア予選の歴史
W杯アジア予選の歴史をまとめてみました。

W杯が16カ国制・24カ国制・32カ国制によって予選参加国や枠の数が大きく変わっているため、それぞれの時代で解説していきます。
ちなみに2022年現在の予選方式は
1次予選・・・FIFAランクの低い国12チームを6グループに分け、ホーム&アウェイで勝ち点の多い6チームが2次予選進出(日本・韓国等は2次予選から参加)
↓
2次予選・・・5チーム×8グループでホーム&アウェイ方式のリーグ戦。各グループ1位と各グループ2位の勝ち点上位4チームが最終予選進出
↓
最終予選・・・6チーム×2グループでホーム&アウェイ方式のリーグ戦。各グループ上位2チームがW杯出場
プレーオフ・・・各グループ3位同士のホーム&アウェイ。勝利チームは大陸間プレーオフに進出
この方式が採用されています。
FIFAランクの高い国は1次予選を免除され2次予選から参戦しています。
日本や韓国やオーストラリア等のアジアの強豪国が2次予選からの参加の理由はFIFAランクにより1次予選を免除されているからです。
予選方式は時代の流れと共に固まってきていますが、過去大会予選は方式が若干異なっていました。
①16カ国制(1934年〜1978年)
当時の予選参加国・出場枠・W杯出場国は以下の通りです。
年代 | 予選参加国 | 出場枠 | W杯出場国 |
1938年 | 2 ※1チーム棄権 | 1 | インド |
1950年 | 4 ※全チーム棄権 | 1 | 無 |
1954年 | 3 ※1チーム棄権 | 1 | 韓国 |
1958年 | 8(アジア・アフリカ共同) | 1 | 無 |
1962年 | 3 ※1チーム棄権 | 0.5 | 無 |
1966年 | 19(アジア・アフリカ・オセアニア共同) | 1 | 北朝鮮 |
1970年 | 6(アジア・オセアニア共同) ※1チーム棄権 | 1 | イスラエル |
1974年 | 15(アジア・オセアニア共同) | 1 | オーストラリア |
1978年 | 21(アジア・オセアニア共同) ※4チーム棄権 | 1 | イラン |
アジアで初めてW杯に出場したのはインドでした。
1938年アジア予選では日本が辞退したため、予選なしの本戦出場でした。
もし日本が辞退せずインドに勝っていた場合は日本がアジア初のW杯出場国でした。
1954年は4チーム中3チームが辞退し、残ったインドがエスカレーター式で本戦出場が決定していましたが、裸足で試合に出ることを要求したインドがFIFAに却下され出場を辞退しました。笑
1958年アジア予選では、イスラエルとの試合を拒否するチームがこぞって予選を辞退し、イスラエルが不戦勝で勝ち残るなど異例の事態も起きていました。※結果、急遽欧州とのプレーオフが組まれた
W杯が16カ国制だった頃はアジア・アフリカ・オセアニアが合同で予選が行われるなど現在では考えられない方式が採用されていました。
1966年は合計19チームがエントリーしましたが、アフリカ勢15チーム全てが予選方式に異議を唱えボイコットしました。
他もちらほら辞退が相次ぎ結局北朝鮮とオーストラリアしか予選に残らない結果になりました。
この当時のアジア予選は参加国も少なく、予選を辞退するチームも多かったため、実質ホーム&アウェーの2試合の結果でW杯出場が決まっていました。
1970年〜1982年のアジア予選はアジア・オセアニアの共同で予選が行われていました。
1974年から現在の最終予選で採用されている予選グループをA・Bの2つに分けるシステムが採用され始めました。
さらに次の1978年アジア予選から、
・3または4チームでグループ予選(ホーム&アウェイ)
↓
・上位1位のみ最終予選進出
↓
・リーグ戦上位チームがW杯出場(ホーム&アウェイ)
現在採用されている2次予選、最終予選システムの基盤が出来上がりました。
②24カ国制(1982年〜1994年)
1982年のスペイン大会より24カ国制のW杯になりました。
24カ国制になったことにより、アジア枠も2に増えました。
年代 | 予選参加国 | 出場枠 | W杯出場国 |
1982年 | 20(アジア・オセアニア共同) | 2 | クウェート・ニュージーランド |
1986年 | 28 ※3チーム棄権 | 2 | 韓国・イラク |
1990年 | 26 ※4チーム棄権 | 2 | 韓国・UAE |
1994年 | 30 ※2チーム棄権 | 2 | 韓国・サウジアラビア |
1982年まではアジア・オセアニアは共同予選が行われていましたが、1986年からはアジア単独での予選になりました。
1982年は20チームを4グループに分け各グループ1位が最終予選進出でした。
最終予選参加の4チームのリーグ戦で上位2チームがW杯出場権を獲得できました。
1986年は1次予選から28チームがゾーンA・ゾーンBの2グループに分けられ、各グループ1位が本戦出場でした。
1990年〜1998年までのアジア予選は、参加チームを4,5チームごとにグループ分けしてリーグ戦を行い、上位1位が最終予選に進出していました。
最終予選のリーグ戦で上位2チーム(1998年は3チーム)がW杯に出場できました。
この時期は現在よりも枠が少ない分、参加国も少なかったのでFIFAランク下位チームのみで行われる1次予選システムはありませんでした。
現在での2次予選からがアジア予選のスタート地点でした。
※1982年アジア予選では、1グループのみ6チーム制で予備予選があった
③32カ国制(1998年〜2022年)
32カ国制のW杯になってからは、アジア枠も3.5〜4.5に増えました。
枠の増加に伴い参加国も増加しています。
年代 | 参加国 | 出場枠 | W杯出場国 |
1998年 | 36 | 3.5 | 日本・韓国・サウジアラビア・イラン |
2002年 | 40 | 4.5(2.5) | 日本・韓国・中国・サウジアラビア |
2006年 | 39 | 4.5 | 日本・韓国・サウジアラビア・イラン |
2010年 | 43 | 4.5 | 日本・韓国・オーストラリア・北朝鮮 |
2014年 | 43 | 4.5 | 日本・韓国・オーストラリア・イラン |
2018年 | 46 | 4.5 | 日本・韓国・サウジアラビア・イラン・オーストラリア |
2022年 | 46 | 4.5 | 日本・韓国・サウジアラビア・イラン |
W杯が32カ国制なってからは、アジア予選方式も大きく変わってきました。
1998年〜2002年大会予選は参加国を4チーム毎にグループ分けして1次予選を行い、1位のみ最終予選に進出でした。
参加国が増えたことで、1998年からは最終予選はA・Bの2グループに分けられるようになりました。
2002年大会は日韓共同開催だったため、日本・韓国は主催国として予選を免除されていたためアジア枠は実質2.5枠のかなり狭き門でした。

2006年大会以降はFIFAランク下位チームのみで行われる1次予選が追加されました。
2006年予選ではアジアでFIFAランク下位14チームが7グループに分かれてホーム&アウェイを行い勝利したチームが2次予選に進出でした。
2006年では最終予選に進出できるのは2次予選(5チーム×8グループ)でグループ1位のみだったため、現在よりも少ないチーム数(8チーム)で最終予選が行われていました。
2010年アジア予選より、オーストラリアがAFCに加入しアジア予選に参加するようになりました。
2010〜2014年度のアジア予選は現在よりも多くの予選形式が設けられていました。
2010年 | 2014年 | |
1次予選 | アジア内で6位〜46位の38チームが19グループに分かれてホーム&アウェイ
※勝利した19チームのうち、ランキング上位11チームは3次予選へ、下位8チームは2次予選へ |
アジア内で28〜43位の16チームが8グループに分かれてホーム&アウェイ |
2次予選 | 2チーム×4グループ(ホーム&アウェイ) | 2チーム×15グループ(ホーム&アウェイ)
※アジア内ランキング6位〜27位の22チーム+1次予選勝者8チーム |
3次予選 | 5チーム×4グループ
※アジア内で1〜5位は3次予選から登場 シード5チーム+2次予選勝者4チーム+2次予選免除11チーム |
5チーム×4グループ
※アジア内で1〜5位は3次予選から登場 シード5チーム+2次予選勝者15チーム |
最終予選 | 5チーム×2グループ | 5チーム×2グループ |
現在では1次予選に参加が必要なのはアジア内で下位12チームのみでしたが、2010年〜2014年大会予選では、アジアトップ5以外の国には多くの予選が設けられていました。
2018年大会予選からは2010年〜2014年に行われていた2次予選は撤廃され、1次予選は下位12〜14チームのみに実施されそれ以外の国は2次予選(5チーム×8チーム)からの参加になりました。
また、2018年大会予選からは最終予選参加国が12カ国に拡大されました。
次回の2026年大会の方式はまだ未定ですが、恐らくは現行とほぼ同じになると予想されます。
2022年アジア予選の振り返り
今大会のアジア予選を振り返っていこうと思います。

引用:FOOTBALL ZONEより
コロナ禍で日程の遅れが生じ、コンディションを整えるのが今まで以上に困難な予選だったと思います。
最終予選の顔ぶれはイラン・韓国・サウジアラビア・オーストラリア・UAE・オマーン等今までとほぼ変化はありませんでした。
しかし、ベトナムが初めて最終予選に残るなど東南アジアのレベルが徐々に上がってきている印象を受けました。
そして、日本と同グループだったオーストラリアがまさかの3位でプレーオフという衝撃もありました。
日本・オーストラリアとの首位攻防を予想していましたが、当てが大きく外れました。
本戦出場を決めた日本・イラン・韓国・サウジアラビアに関しては、まぁいつも通りの顔ぶれだなと思いました。
日本代表に関しては、まあまあ酷かったと思います。
特に、
・選手層の薄さ
・選手の起用法
・世代交代の失敗
は顕著に現れていたと思います。
選手層や起用法に関しては毎年物議を醸す定番ではありますが、特に世代交代失敗が露骨に出てしまっていたと思います。
長友、大迫は既にピークが過ぎた選手ですが代わりになる選手が居ないから試合で使われ続けています。
また、前の時代の日本代表の中心だった香川、本田のような世界トップリーグでも十分に通用していた選手が今の代表には不足していると思いました。
パスも繋がらず、単調な攻めも多く、個でも打開できずの歴代最弱レベルの日本代表だと感じたファンも多いのではないでしょうか。
なんかパッとしないというか華が無く、単調で観ていても面白くない試合が多かったように思います。
日本代表がやりたいことor狙っていることがイマイチ分からない戦術・選手の起用が目立ちました。
十分なパフォーマンスを発揮していたのは伊藤純也くらいでした。

引用:Yahoo!ニュースより
そんなダメダメな日本代表を無理やりを持ち上げる日本のメディアも滑稽に見えました。
初戦でオマーンに負け、次戦の中国にはギリギリ勝利で3戦目のサウジアラビアに負けた時はマジで終わったと思いました。
その後は何とか巻き返し、最終的には予選2位で本戦出場が決まったので一安心しました。
もちろん、アジア全体のレベルも上がってきている事も苦戦の原因だとは思いますが、W杯本番前に大きな不安の残るアジア予選だったと言えるでしょう。
まとめ
アジア予選の歴史と日本代表の歴代戦績をまとめてみました。
今やW杯常連国の日本ですが、1998年までW杯に出場できない苦しい期間が続いていました。
また、W杯が16カ国制の時代はアジアの予選参加国は現在よりもかなり少なく最低2試合の結果でW杯に出場できていた時もありました。
24カ国制になってからはアジア枠は2に増えましたが、枠に対する参加国の倍率が現在よりも高い時代もありました。
32カ国制になり予選参加国も増え、ようやくヨーロッパやアフリカにも劣らない位の規模にまで発展していきました。
2026年大会からはアジア枠も8枠と倍近くに拡大するので、今後どのようなアジア予選になっていくのかが楽しみですね!